3歳時、5戦3勝。
数々の歴史的名馬を輩出してきた名種牡馬ニジンスキーを父に持ち、フランスダービーを制し、種牡馬としてもシンコウラブリイを輩出するなど、
日本の競馬にも大きな影響を与えたカーリアン。そのカーリアン×母父:サドラーズウェルズの間に産まれた超良血フサイチコンコルド。
デビュー前から当然のように期待されていたが、当初から体質が弱く思い通りの調整が出来ず年明けの1月デビューとなった。
1996年1月29日、京都競馬の新馬戦で、1番人気に応えて快勝。2か月後のすみれステークスを勝利し、皐月賞へ出走できるだけの賞金を加算したが最大目標のダービーを 万全の体制で迎えるため回避した。しかし、思惑通りに事は進まずダービートライアルのプリンシパルステークスへ出走するため東京へ輸送したところ熱発してしまい、同競走を回避の誤算。 すみれステークスから3ヶ月空いた日本ダービー。しかも熱発明けと厳しい条件だったが、さらに輸送後、府中に到着したフサイチコンコルドは微熱を出してしまい、日本ダービーまで回避の検討が直前までなされた。 しかし翌日には快方に向かい、ぎりぎりまで迷った陣営も出走に踏み切り、なんとか日本ダービーを迎えることとなった。
単勝27.6倍の7番人気。素質は認めてもこれだけ不利な要素が重なると、この人気も当然であった。 この年の日本ダービーではダンスインザダークを筆頭に、ロイヤルタッチ、イシノサンデーのサンデーサイレンス3強に注目が集まり、フサイチコンコルドは、「関西の秘密兵器」とわずかながらの期待。 レースはサクラスピードオーがスローペースで逃げ、ダンスインザダークが3、4番手の絶好の位置につけていた。 フサイチコンコルドはスタートでわずかに出遅れたが、7、8番手からダンスインザダークをマークする形でレースを進めていった。 最後の直線でダンスインザダークが一気に抜け出し、勝ちパターンに持ち込もうとするが、鞍上の藤田からゴーサイン出されたフサイチコンコルドが、一完歩ずつ差を詰めていく。 2頭の壮絶な叩き合いはゴール板前まで繰り広げられ、ゴール手前でフサイチコンコルドがダンスイザダークをクビ差退け見事その素質を開花させたのであった。 その末脚は、世界最速の音速機コンコルドのイメージから「音速の末脚」と賞賛され翌日のスポーツ紙を賑わせた。
その後、放牧に出されが相変わらずの虚弱体質で秋の初戦を京都新聞杯からカシオペアステークスに変更し復帰することとなった。 圧倒的な1番人気に推されるが、メジロスズマルに5馬身の差をつけられ2着とあっけなく初黒星を喫してしまう。 そして、三冠最終戦の菊花賞では、ダンスインザダークに次ぐ2番人気。レースでは最後の直線でダンスインザダークとロイヤルタッチに交わされ3着に敗れた。 その後、天皇賞(春)を目指していたフサイチコンコルドは、調教中に左前とう骨骨膜炎を発症しそのまま引退が決まった。
ダートでG1馬ブルーコンコルドを輩出したものの、芝ではG2を5勝したバランスオブゲームが最高。 総じてニジンスキー系は、代を経るにつけ重苦しさが前面に出るようになりパワーは十分でもスピード不足な傾向を示す。 芝で一級品を期待したいところだが年々種付けは減りかなり苦しい状況である。 しかし、母父に入るとNHKマイルカップ(G1)を勝ったジョーカプチーノが出ており牝系としての活躍は今後期待が持てるだろう。
年 | 出走 | 勝利 | AEI | 収得賞金 | |||
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頭数 | 回数 | 頭数 | 回数 | 順位 | |||
2001年 | 28 | 91 | 9 | 10 | 99 | 0.67 | 1億4411万5000円 |
2002年 | 99 | 479 | 29 | 39 | 23 | 0.87 | 6億3052万7000円 |
2003年 | 106 | 557 | 31 | 37 | 20 | 1.04 | 7億7048万6000円 | 2004年 | 102 | 529 | 23 | 31 | 18 | 1.09 | 7億5995万3000円 |
2005年 | 126 | 610 | 28 | 36 | 14 | 0.99 | 8億2919万5000円 |
2006年 | 171 | 763 | 29 | 37 | 22 | 0.67 | 7億5475万6000円 |
2007年 | 143 | 589 | 28 | 36 | 298 | 0.61 | 5億7290万円6000円 |
2008年 | 109 | 480 | 18 | 21 | 37 | 0.72 | 4億9084万7000円 |
通算 | 507 | 4,571 | 145 | 272 | - | 0.7 | 53億8698万9000円 |